「和」の心こそ
一人の優しい気持ちというのは、周りの人まで和ませてくれる。それはまるで春に吹く心地よい風のようなものだ。春の風は冬を耐えた木々に暖かさを伝え、木々はその温かさによって様々な花を咲かせる、という意味です。
さて、日本大震災も七年目に入りますが、寒かった、ひもじかった避難所の生活で思い出すのはみんな優しく、周りの人を気遣い、和やかな思いが満ち満ちていたということです。
昨年二月、私はボランテイア団体の要請でサンフランシスコに講演に行き、社会福祉施設や学校などで津波の体験や復興の状況などを話してきたのですが、小学校三年生の子供から受けた質問が忘れられません。それは日本の人たちは避難所で支援を受けた時誰も争うことはなかったと聞いているがそれは本当ですか?。」と聞かれたのです。
皆さん知っての通り、そんなことはどこにもありませんでした。ですから、「それは本当ですよ、周りに迷惑になるようなことは誰もしませんでしたよ。」と答えて私は、私たちが当たり前にしている行動は私たちが長い歴史の中できづき上げ、脈々と受け継いできた日本人としての精神だったのだ、公共心として根付いている和の心なのだ、と気づかされたのです。
サンフランシスコに住む日系の方々は祖国のその心を誇りにし、今も支援の思いを寄せてくれて居るのです。
今日こうした心が希薄になり、自己本位な事件が世を騒がせて居ります。新しく迎えるこの一年、「和」の心こそが社会に幸せをもたらし、豊かさと楽しみを生むということを改めて心したいものであります。
住職 片山秀光
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